三嶋大社に行ってきました・・・
何故?・・・
実は私東城久幸のルーツとして三嶋大社は重要なのです・・・
懐かしいな〜・・・
ここに来るのは何年振りいえいえ、何十年ぶりでしょうか・・・
三嶋は私の実母の実家があった場所です・・・
三嶋大社ではお盆の時期に大きなお祭りがあります・・・
祖母につれられ出店の並ぶお祭りに行きました。
そして私の祖父こそがそのお祭りを仕切る大親分だったのです・・・
お祭りの時期、体に絵や模様が入る人たちが祖父の処へ大勢集まり大騒ぎでした・・・
私は子供の頃からチヤ―坊と呼ばれていました・・・
そして小学生低学年の私にもビールを並々注ぎます・・・
現代だったら大問題ですね・・・
もうみんな生きていません・・・
境内を歩いていると昔にタイムスリップしたような気になりました・・・
もう2度とここへは来ないと思いますが・・・
大切な思い出の場所として記憶しておきます・・・
御由緒
御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。
三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。
社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。
神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。
この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、
当時の最高技術を結集させたものとして知られています。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、
又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、
伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。
その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。
又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。
源 頼朝 旗挙出世絵馬
御例祭 流鏑馬神事